ハキダメ蝶

捌け口で

やるべき

やるべき事。とは何でしょうか

最近その事ばかり考えています。

 

今、やるべき事。それは、恐らく無い

という一つの結論に至りました。

全うしなければならない事

成し遂げなければいけない事

色んな人から、本から、SNSからも

押し売られます。「これをやるべき」と

若いうちに、バンドマンなら、男なら、京都人なら

 

そこで気がつきました。

これ、全て他人から受けた意志じゃないかと

その人が思う これをしなければ...なんです

 

多分、やるべき事とは個人の中にしか無いんだと思います。

ひとの思う一つ一つのやるべき事が正しくて

でも全てする事は出来ない

 

そして大事なのは

何をすべきか「どうする為に」ということ

僕はこれまで誰に何を言われようと

自信を持って全てを掛けて実行出来る 何かを探してきました。

ある訳がない。

必要なのは自信を持ってやりたい何か

どうしたいから!

それから何をすべきかだと

 

何を求めるかという欲、決定、イメージ、今何をすべきか

という順序でしょうか

何を求めるかはきっと自分の心だけが知っていて、それは自分自身と向き合う事でしか

見つけられないんでしょう。

 

僕は幸せだけじゃ足りません

沢山の辛い事も求めていて、その上での幸福しか多分信じる事が出来ません。

いつも理想通りだと、簡単になってつまらなくて堪らない気持ちになります。

 

後は認められたい

でも認めていないのは自分だけの様な気がするのです

人から蔑ろにされる事は少ないし

かといって一目置かれてるという訳でもないですが、何かを失敗した時、期待に応えられなかった時一番僕を恥じて責めるのは自分自身だからです。

 

きっとそれはこうなったら正解。という

答えを持っていないからでしょう

 

でもそんな事分かる訳ないですよね

きっと こうなりたい。という希望を持つこととそれを自分の中に察知出来るように

自分に対しては素直である事が大事だと思います

 

乱文失礼しました。

立川談志からのdancin'

 


立川談志が入ってました。

 

そう表現するのが相応しい時が、たまに来ます。

立川談志(敬愛を込め"彼"と言います)のぶっきらぼうさと晩年近くの「どうせ死ぬんですから」の精神が入ってきて、投げやりだけど訴えたい事がある!分からねぇ奴はほうっておくよ

ってなってしまう。

 

そういう彼の精神を持って全くその通りのライブを今日はしました。

思いの外楽しかった!

誰かの作ったバンドらしさ。を放っておいてやるライブは気持ちと表現がすばらしく釣り合ってた。

 

でも良かったのはその後で、

「どうせなら楽しんじまえ」ってなって、ストライクじゃないバンドにも、オンガクタノシー状態になって、勝手に愛をもって見てた

 

全力で楽しんでたおかげか、こないだクラブでバカ騒ぎを学んだおかげか、あとの対バンのライブ中色んな事に気付けた。

 

うちに足りないもの、肉体的に音楽に乗ること。じゃないと解放出来ないこと。情緒的になりたいと思ってる所。

「こうなりたい」って思えることは幸せだなと思いました。

 

感じることが出来ないと発信する事はできないんやな

 

 

ps.BBQみたいなライブがしたい。

 

おおきに

遠い目標 いまの手段

先日、遠くにある目標の話を職場の上司に聞かれた「お前は結局何がしたいの?」

 

私は結構マジメに「会社立ち上げたいです。」(バンドマンです)と答えた。

 

これは北海道のあるバンドを見た時に、自分の本質に向き合わされてふと出た考えだったが、その時から自分の何気ない目標?夢みたいになっている。

 

「やっぱりなー」(何がや笑)

上司は言いました。

 

この後、その上司の目標の話を聞いた。

そして今やってる仕事。全然かけ離れてた。

でもどっちもその人の感性でいうと

 

「絶対おもしろい!」だった

 

何てピュアなんやと思った。

この人は自分の気持ちをそのままじんせの目標に、ちゃんとワガママに生きてんなー。

と感じて

自分の目標の達成についてここ最近考えてしまう。

 

 

ワールドツアーがしたい。

これは絶対楽しい。何がって音楽しかコミュニケーションツールが無いところ。

 

私は音楽の持つ気持ちよさに、スゴく酔いやすいところがあって本当にうまいバンド、playerに会うとスネア一発、カッティング一つでシビれる

 

それは歌詞の内容だったり、曲の雰囲気とはまた違うところだけど本質的な音楽の価値の一つと考えていて

 

それだけで外人を楽しませられるなら

それはとてもワクワクする目標なのかも、と思う。

 

 

その為に今何が出来る。じゃなくても良い

 

って事を学んだ。どっかで繋がってくるから

でも同じスタンスで行かないと、違う方向に行ってしまう。

 

今度外人相手に演奏してるつもりでやってみようか。

大袈裟に伝わらない前提で気持ちを出しつつ、演奏はシビアに綺麗にはめる。

 

 

短絡的すぎか?

いや、これだ

 

東京まで来て話す事が無かった

先日東京で自分のバンドのライブがあった。

 

 

数日前から私はなんで毎日音楽のために仕事をしてるのか、自分が音楽に何を求めているのかが分からなくなっていた。

 

なのでこのライブを精一杯やって、もし楽しさも何も感じる事がなければバンドを辞めようかとゆる〜くであるが、考えていた。

 

 

 

当日は精神面、体調ともにライブの事だけを考えて万全を尽くして整えた。

 

ライブ直前メンバーからのいつもの問いで

「今日のライブはどんな感じでやる?」

という質問に、始めは

「自分達がちゃんとライブの中にあれば良い」と到底メンバーが納得出来ないであろう意気込みを提示してみたのだが

 

 

後に思い直して「溢れんばかりの愛で」(そのまま言った)と伝えると案外納得してくれた。

 

 

これはバイト先の喫茶店で感じた事なんだが

仕事が出来る、早い人はいる。

だが仕事が手段としてその目的を、1日の仕事を終える事にするのか、お客にするのか。

そのバランスは人によって全然違う。

 

 

たとえば早くドリンクを作って客席に持っていけば一仕事は終わるし、次の作業に移れるが

そこを、なるべく丁寧に、綺麗に。

お客を見て熱さ、細かい量、出すタイミングなどを調節するには

やっぱりお客に対する愛が無いと出来ないのだ

 

 

 

そういう事を言いたくて、愛を持ってライブしよう。と伝えた訳である。

 

受け取ってくれたのかどうかは分からないが、ライブは良かった。

歌詞も感じながら出来たし

 

お客との間にそれを共有する空気を感じられて、「自分らの音楽、意味の無いことでは決してねーな」

と思えた。

 

 

しかし問題は打ち上げである。

 

気力を使い果たしてしまった自分は

色んなバンドと話せる、社交の場としての打ち上げに全く合わせられず

 

挙句お酒のせいもあり、うつらうつらしてしまったのである。

(最近お酒が入ると1時間程で抗えない睡魔にかられるのです。)

 

 

もし地元の先輩が見ていたら「気持ちが足らん」と怒られている所だが

ウチのメンバーは優しいのでつつかれて起こされるだけで済んだ。

 

 

 

100%にあと少しの頑張りで全てが変わる。

が、ライブは打ち上げまでが肝心だ

というお話。